■レポート記載例【体育理論】




体育理論は、入学後早い時期に取り組んだ科目です。

選んだ理由は課題内容が他に比べて書きやすそうだと思ったから、です。

実際取り組んで見ると課題内容に関する情報については書籍ですぐわかったもののそれをどう書いたらいいのか文章の組み立て方などに戸惑ってだいぶ時間がかかった記憶があります。

どんな科目?(本科目について簡単にご紹介)

 生涯にわたって豊かなスポーツライフを送るために必要な知識を扱う科目です。運動やスポーツに関する科学的知識等を中心に学びます。

課題情報(課題の概略や成績など)

1

科目

 体育理論

2

課題概略

スポーツに関する歴史的事実等   

3

課題タイプ

 まとめなさい 

4

提出形式

 印刷(ワープロで記載)

5

評価

 

6

レポート構成

課題定義

説明1(西洋)

説明東洋)

比較(説明1,2に関する)

まとめと考察

参考文献

7

文字数制限

 2000

8

本文文字数

 1665

9

備考

・更に追加したほうが良い内容についてご指導をいただいています。

 課題が3つ提示されており、その中の一つを選択して書くものでした。私はスポーツの歴史等に関するものを選びました。

   

自分の考察が求められている課題ではありませんでしたので、調べた内容を課題文章が指示するとおりの流れで記載しています。最後のまとめの部分には少し見解なことを書いています。

 

・実際には提出用の用紙の枠にあわせてゆったりとした間隔で印刷しています。

 

には実際には課題番号が入っています。


分析(文章をまとまり毎に表形式で整理)


1
課題定義

体育理論 (課題選択★)
人間は古代からさまざまな形で体育・スポーツとかかわってきた。

体育もスポーツも人間の作り出した文化であるという点は共通である。その違いは「体育」が“他の文化を有効に生かすための文化”1)としての身体教育であり、「スポーツ」は“その文化自体を楽しむための文化”2)として人生を豊かにするものであるという位置づけである。

2
説明1
(西洋)

古代西洋における体育・スポーツについてはギリシャから多くの資料が発見されている。
 
当時ギリシャは多数の都市国家から成り立っており、国家間の争いも絶えなかったため、体育・スポーツは主に男性のものであり兵士として身体を鍛える意味あいが強かった。 

争いの一方で国を越えてオリンピアンという祭典競技会を四年ごとに開催し、その間はギリシャ全土のすべての争いが中止されていたが、その祭典も古代末期には宗教的理由から廃止されている。

中世初期には文化に対する関心が低くなり体育活動もあまり発達しなかったが、中期に騎士の制度が確立するに従い軍事訓練から次第に競技的なものが発達し、庶民の間でもスポーツが余暇に行われるようになってきている。

近世に入るとドイツ、スウェーデン、英国、米国などでそれぞれ特徴のある体育・スポーツが発達してきたがいずれも合理的な理論やルールに沿ったものが主流であった。

国境を越えたスポーツの祭典がオリンピックとして行われるようになったのもこのころである。

3
説明2
(東洋)

古代東洋ではメソポタミア・中国・インドが栄えていた。体育・スポーツに関する認識はそれぞれに異なっている。

メソポタミアでは戦士養成の鍛錬的な意味合いが大きかった。 

中世から近代にかけてこの地域は戦乱により資料が失われ体育に関して不明なことが多い。

古代の中国では役人の資格としての教育の要素が強く、インドでは宗教的な理由から霊的なことに関心が深く体育的なもの自体が存在していなかった。

中世の中国・インドでは一部の上流階級がレクリエーションとしてスポーツを行っていたが、庶民は生活に追われその余裕はなかった。

近代に入ってからは東洋の諸国は西欧の植民地となったところが多く、やはりごく一部の経済的に恵まれた人達のものであった。

体育・スポーツが庶民にも広まってきたのは、現代に入り学校教育に取り入れられるようになってからである。

4
比較(説明1,2に関する)

体育・スポーツの歴史において、西洋では体育・スポーツともに発展してきているが、東洋では体育的要素を中心に発展してきている。この違いは両者の身体についての考え方が大きく異なっていたことが理由である。

古代においてどちらも身体は精神よりも低いものとされていたことは共通していてはいたが、位置づけが異なっている。

西洋において身体は「食物を得たり労働や闘いを行ったりするための道具」であり、精神の支配下に置かれているとされた。

一方東洋では「煩悩の宿る不浄であるもの」として捨て去るべきものとされた。

この違いがその後の体育・スポーツの発達にも大きな影響を与えた。

西洋では長く精神を重視した時代が続いたが、前世紀に入り、身体が存在してこその精神であるという考え方が広まり、身体を精神によって支配するという身体観を生み出した。

これが、スポーツをするにはそれに合った身体を作り上げるという合理的な訓練方法を生み出し、現在の体育・スポーツの考え方の主流となっている。

東洋では、身体を使い精神を鍛え磨くという考え方が長く続き、楽しむという概念が乏しくスポーツの発展に結びつきにくかった。

それが難行・苦行による精神鍛錬方法につながりヨガや禅を生み出していった。そのため近年になっても体育・スポーツにおいても合理的訓練よりも苦行に近い猛練習が主流となっていた。

5
まとめと考察
情報伝達力の発達した現在、体育・スポーツに関する訓練方法は西洋の考え方に基づいた合理的なものが世界中に広まっており、各種スポーツの記録を大きく伸ばしている。 

一方で西洋でもヨガなどの東洋的なものにも関心が集まっている。

今後はそれぞれの良い面を取り入れることにより、考え方の相違点も減っていくのではないかと思われる。

6
参考文献
<引用文献>
1)玉木正之「スポーツとは何か」 講談社現代新書1999年 P.184
) 前掲書よりP.184
<参考文献>
稲垣正治 谷釜了正 編著「スポーツ史講義」 大修館書店1995
前橋明 監修 高橋ひとみ 編著「体育・スポーツ史」 西日本法規出版㈱2001



文章のみ(レポートをそのまま文章のみ掲載。ざっと読みたいという方に)

人間は古代からさまざまな形で体育・スポーツとかかわってきた。体育もスポーツも人間の作り出した文化であるという点は共通である。その違いは「体育」が“他の文化を有効に生かすための文化”1)としての身体教育であり、「スポーツ」は“その文化自体を楽しむための文化”2)として人生を豊かにするものであるという位置づけである。

古代西洋における体育・スポーツについてはギリシャから多くの資料が発見されている。 当時ギリシャは多数の都市国家から成り立っており、国家間の争いも絶えなかったため、体育・スポーツは主に男性のものであり兵士として身体を鍛える意味あいが強かった。 争いの一方で国を越えてオリンピアンという祭典競技会を四年ごとに開催し、その間はギリシャ全土のすべての争いが中止されていたが、その祭典も古代末期には宗教的理由から廃止されている。中世初期には文化に対する関心が低くなり体育活動もあまり発達しなかったが、中期に騎士の制度が確立するに従い軍事訓練から次第に競技的なものが発達し、庶民の間でもスポーツが余暇に行われるようになってきている。近世に入るとドイツ、スウェーデン、英国、米国などでそれぞれ特徴のある体育・スポーツが発達してきたがいずれも合理的な理論やルールに沿ったものが主流であった。国境を越えたスポーツの祭典がオリンピックとして行われるようになったのもこのころである。

古代東洋ではメソポタミア・中国・インドが栄えていた。体育・スポーツに関する認識はそれぞれに異なっている。メソポタミアでは戦士養成の鍛錬的な意味合いが大きかった。 中世から近代にかけてこの地域は戦乱により資料が失われ体育に関して不明なことが多い。古代の中国では役人の資格としての教育の要素が強く、インドでは宗教的な理由から霊的なことに関心が深く体育的なもの自体が存在していなかった。中世の中国・インドでは一部の上流階級がレクリエーションとしてスポーツを行っていたが、庶民は生活に追われその余裕はなかった。近代に入ってからは東洋の諸国は西欧の植民地となったところが多く、やはりごく一部の経済的に恵まれた人達のものであった。体育・スポーツが庶民にも広まってきたのは、現代に入り学校教育に取り入れられるようになってからである。

体育・スポーツの歴史において、西洋では体育・スポーツともに発展してきているが、東洋では体育的要素を中心に発展してきている。この違いは両者の身体についての考え方が大きく異なっていたことが理由である。

古代においてどちらも身体は精神よりも低いものとされていたことは共通していてはいたが、位置づけが異なっている。西洋において身体は「食物を得たり労働や闘いを行ったりするための道具」であり、精神の支配下に置かれているとされた。一方東洋では「煩悩の宿る不浄であるもの」として捨て去るべきものとされた。この違いがその後の体育・スポーツの発達にも大きな影響を与えた。

西洋では長く精神を重視した時代が続いたが、前世紀に入り、身体が存在してこその精神であるという考え方が広まり、身体を精神によって支配するという身体観を生み出した。これが、スポーツをするにはそれに合った身体を作り上げるという合理的な訓練方法を生み出し、現在の体育・スポーツの考え方の主流となっている。

東洋では、身体を使い精神を鍛え磨くという考え方が長く続き、楽しむという概念が乏しくスポーツの発展に結びつきにくかった。それが難行・苦行による精神鍛錬方法につながりヨガや禅を生み出していった。そのため近年になっても体育・スポーツにおいても合理的訓練よりも苦行に近い猛練習が主流となっていた。
情報伝達力の発達した現在、体育・スポーツに関する訓練方法は西洋の考え方に基づいた合理的なものが世界中に広まっており、各種スポーツの記録を大きく伸ばしている。 一方で西洋でもヨガなどの東洋的なものにも関心が集まっている。今後はそれぞれの良い面を取り入れることにより、考え方の相違点も減っていくのではないかと思われる。


<引用文献>
1)玉木正之「スポーツとは何か」 講談社現代新書1999年 P.184
) 前掲書よりP.184
<参考文献>
稲垣正治 谷釜了正 編著「スポーツ史講義」 大修館書店1995
前橋明 監修 高橋ひとみ 編著「体育・スポーツ史」 西日本法規出版㈱2001