かなり長くなりますので、回数を分けて記載します。
まずはD評価だったレポートについてご紹介します。
全体構成の概略
D評価レポート(※合格ではありません。書き直して再提出しなくてはならないものです)
再提出となった理由(概略)
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・資料論や一般論的な記載が多く、課題で問うていることに対する内容が見えない。
※この他に、上記指摘に対して対応するためには、どういった点に焦点をあてるべきかについて、アドバイスをいただいているのですが、具体的な内容が含まれるため記載は控えさせていただきます。
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まず、レポートの全体構成について見てみます。
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Dレポート(1回目) |
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構
成 |
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D評価レポートの構成を実際の文章にあてはめたもの
① 課題に関する一般論 |
日本近世史において庶民は支配者による強制的な制度を押し付けられ暴政と悪法に苦しみつつ暮らしていたとされてきた。とくに「士農工商」による身分制度に基づいた暮らしぶりが知られている。この制度では身分と職業とが一体なものとして扱われており、身分により居住地区から分けられていた。中でも農民として身分が確定したものは検地や年貢などで土地に縛られ苦しい生活を強いられていたとされるのがこれまで一般的に伝えられていた姿である。 |
② 自分なりの問の提起(大テーマ) |
しかし、これは本当に当時の農民たちの姿を伝えているといえるのだろうか。これまで近世の歴史を伝えるものとして使われてきた資料の多くは刀狩令や慶安御触書などといった幕府の側から見た資料から得た姿がほとんどである。一方向から見ただけでは本当の姿は見えていないのではないだろうか。 |
③ 問(大テーマ)に対する答えを探す対象を提示 |
こうした疑問に対し「宗門改帳」や庶民の「日記」がこれまでとは違った、農民側から見た近世農民像を浮かび上がらせて注目されている。
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④ 対象に対する補足説明 |
宗門改帳とは17世紀に鎖国令が出されキリスト教が禁止されたことにより、幕府が日本住民一人ひとりに対し仏教徒である証明を提出させたものであり200年以上続いた。改帳は世帯ごとに構成する家族や奉公人についての名前や年齢などをはじめとした情報が記され、ほぼ毎年作られた。改帳が長期間に渡り残されていた一族があったことが当時の暮らしを知る手がかりとなった。旧美濃国安八郡西条村(現在の岐阜県安八郡輪之内町)で代々庄屋として住んでいた西松家に残されていた宗門改帳は1773年から1869年までの97年間にも及び研究対象とされている。
日記についてはあくまでも個人の記録であるものの、そこには書き手の目を通した日常が記されており当時の生活を知る貴重な情報といえる。分析がすすめられているのは宗門改帳と同じく西松家に残されていたものであり代々当主が記したものである。
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⑤ 対象調査で分かったこと |
いずれも資料自体は個人の家の中に関することであるがそこから当時の庶民の生活が垣間見える。資料から見る農民たちは農業にのみ従事していたものばかりではない。奉公という形で土地を離れるものも多く存在しており彼らは土地に縛り付けられていたわけではない。奉公先は京都や名古屋など村から遠く離れた大都市へ行くものと近距離の農村へ行くものとに大きく分かれている。また、奉公が縁での婚姻も数多く、なかには身分を越えた婚姻や養子縁組も見られることから、厳しいとされた士農工商の身分区分が実際のところはそうでもなかったのではないかという可能性が指摘されている。衣服や食物についてもある程度の豊かさがみられ貧困を極めていたという印象はない。教育についても村周辺に江戸時代末期に塾のようなものが存在していたことがわかっている。
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⑥ 対象調査のまとめ |
これらの資料からはこれまで苦しいだけの生活だと思われていた農民たちがそれなりに人生を楽しんでいた様子がうかがえる。
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⑦ 対象調査の結果から感じた問(疑問)の提起(小テーマ1) |
では、これらの資料からわかる姿とこれまで言われていたように辛苦に耐えたとされる姿のどちらが本当の農民の姿なのだろうか。
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⑧ 小テーマ1に対する調査(今回の場合、既調査結果を利用した考察的なものとなっている) |
考慮しなければならないのは資料の特性である。これまで一般的な資料として使われていた資料は幕府の管理力が大きく及ぶ大都市を中心に記されているものである。一方、研究が進められている宗門改帳や日記はまだいずれもごく一部の田舎といえる地域のものにすぎない。当時、参勤交代のための岐阜から江戸への移動が10日ほどかかっていたことをみてもほかの流通についても現在の速度とはくらべものにならないほど遅いと思われる。距離が伝達力に関係するならば田舎であれば情報などの伝達力は更に落ちる。情報が届きにくければ遠方である幕府の支配は田舎地域の庶民には影が薄く、その地域の実力者による支配力のほうがはるかに強く感じていたのではないかと思われる。研究の対象になった西条村は大都市からは離れている。実力者である庄屋たちが住民たちから信頼を得て地域を取りまとめていたことがわかっており、地域実力者による支配がうかがえる。
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⑨ 小テーマ1の調査のまとめと簡単な考察 |
宗門改帳や日記に記されていたように生活をある程度楽しめたのはこういった大都市から離れた田舎であり、大都市に近い地域になるに従い幕府の監視が強く及び、これまで認識されていた苦しい生活を営む農民像に近づいていったのではないだろうか。
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⑩ 全体のまとめ |
つまり苦しい生活をしていた農民たちも確かに存在した一方で、それなりに人生を楽しんだものも多数いたのではないだろうか。幕府側、庶民側のどちらの資料もそれぞれ当時の農民の姿を正しく伝えているのではないか。言い換えれば、近世の農民生活は地域差が著しかったのではないかということである。
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