■レポート記載例【日本史2】分析編2(Bレポートの全体構成)


今回は先のD合格したレポートを修正して提出して合格したレポートについて全体構成を分析します。いただいた評価はBとなります。

全体構成の概略(Bレポート)


評価について

・文中で触れたある分野に関し、取り上げるべきキーワードが抜けている旨のご指摘があります。(※具体的事項は記載を控えます)


Bレポート(2回目)


課題に関する一般論

 

自分なりの問の提起(大テーマ)

問(大テーマ)に対する答えを探す対象を提示

対象に対する補足説明

 

対象を調査する際の問(疑問)の提起(小テーマ1

対象調査で分かったこと(小テーマ1への解答的な内容)

小テーマ1の調査のまとめと簡単な考察

 

小テーマ1調査結果から生じた一般論への問(疑問)の提起(小テーマ2

対象調査で分かったこと(小テーマ2への解答的な内容)

小テーマ2の調査のまとめと簡単な考察

 

小テーマ12の調査結果から導きだした大テーマの結論としての意見

 

大テーマに対する結論としての意見 まとめ

 


構成を実際の文章にあてはめたもの

 

①課題に関する一般論

日本近世史において農民は士農工商」の制度のもと検地や年貢などで土地に縛られ暴政や悪法に苦しむ生活を強いられていたと一般的に伝えられている。

  

②自分なりの問の提起(大テーマ)

しかし、これは本当に当時の農民たちの姿を伝えているだろうか。これまでの近世歴史資料の多くは慶安御触書など幕府側のものである。一方向から見ただけでは本当の姿は見えていないのではないだろうか。

  

③問(大テーマ)に対する答えを探す対象を提示

こうした疑問に対し「宗門改帳」や庶民の「日記」が、農民側から見た近世農民像を浮かび上がらせて注目されている。

 

④対象に対する補足説明

「宗門改帳」とは、幕府が世帯ごとに家族や奉公人などの情報を記させたもので一時期ほぼ毎年作られた。「日記」には書き手の目を通した日常が記されており当時の生活を知る貴重な情報といえる。いずれも旧美濃国安八郡西条村で代々庄屋であった西松家のものが現在研究対象のひとつとされている。

 

⑤対象を調査する際の問(疑問)の提起(小テーマ1

これらの資料からはどのようなことがわかるのだろうか。

  

⑥対象調査で分かったこと(小テーマ1への解答的な内容)

住居移動については特に婚姻や養子、出稼ぎ奉公などにより頻繁に行われている。婚姻については主に数キロ以内近隣間でのものと大都市へ嫁ぎ出るという形のものが見られる。身分を越えた婚姻や養子縁組も見られることから、厳しいとされた「士農工商」の身分区分が実際のところはそうでもなかったという可能性が指摘されている。出稼ぎについては小作層の二十代前後の男女が一年から数年といった短期で近隣の村や大きな都市へ行くことが多かった。

 娯楽としては神社祭礼などの祭り、興行物として芝居、狂言など、日ごろの農作業を離れて、村内だけではなく他村の者や家族が連れ立って出かけ、酒を飲んだり余興を楽しんだりとにぎやかに過ごした。さらには禁止されるほど広まっていた博打なども娯楽の一部として挙げられる。

  村内の治安については、警備担当の番人を置いたりしたほか、細々とした揉め事や小さな窃盗事件などは役所へ届け出ず庄屋などの村内の実力者が処理を行っており農村の自治力の高さがうえかがえる。 

また、教育についても関心は高く農村の子供たちは近隣の寺が寺子屋として開設していた塾のようなところで学習したり、農村内では教育レベルの高かった庄屋の家など手習いのために通ったりと積極的に学んでいた。大人の間では上層農民を中心に教養の一部としての生け花や俳諧なども広まっており、これらを通じた農村内外の人々の交流も盛んであった。中には遠方での会合などの参加のために宿泊を伴う旅行を兼ねて楽しんだものもいる。旅については街道整備や治安の向上などにより、参詣や湯治、物見遊山を目的としたものも多く行われていた。 

   

⑦小テーマ1の調査のまとめと簡単な考察

このように、農民は土地に縛り付けられてはおらず、娯楽や教養などにもある程度の豊かさがみられる。衣服や食物についても貧困を極めていたという印象はなく、彼らがそれなりに人生を楽しんでいた様子がうかがえる。

 

⑧小テーマ1調査結果から生じた一般論への問(疑問)の提起(小テーマ2

では、一般に言われていたように辛苦に耐えたとされる姿のどちらが本当の農民の姿なのだろうか。

  

⑨対象調査で分かったこと(小テーマ2への解答的な内容)

これまで一般的な資料として使われていた資料は幕府の管理力が大きく及ぶ大都市を中心に記されているものである。一方、研究が進められている「宗門改帳」や「日記」はまだいずれもごく一部の田舎地域のものにすぎない。当時の移動手段が徒歩や馬などであり情報の伝達手段もそれらに頼っていたことから、その速度は現在とはくらべものにならないほど遅かったものと思われる。距離が伝達力に関係するならば田舎であれば情報などの伝達力は更に落ちる。情報が届きにくければ遠方である幕府の支配は田舎地域の庶民には影が薄く、その地域の実力者による支配力のほうがはるかに強く感じていたのではないだろうか。研究の対象になった西条村は大都市からは遠く、庄屋などの実力者が住民から信頼を得て村内を取り仕切っていたことがわかっており、地域実力者による支配がうかがえる。

 

⑩小テーマ2の調査のまとめと簡単な考察

「宗門改帳」や「日記」に記されていたように生活をある程度楽しめたのはこういった大都市から離れた田舎であり、大都市に近い地域になるに従い幕府の監視が強く及び、これまで認識されていた苦しい生活を営む農民像に近づいていったのではないだろうか。

  

⑪小テーマ12の調査結果から導きだした大テーマの結論としての意見

つまり苦しい生活をしていた農民たちも確かに存在した一方で、それなりに人生を楽しんだものも多数いたのではないかということである。幕府側、庶民側のどちらの資料もそれぞれ当時の農民の姿を正しく伝えているのではないだろうか。

  

 大テーマに対する結論としての意見 まとめ

近世の農民生活は地域差が著しかったのではないかと考えている。

 

まとめ


改めて見てみると、DとBレポートは、大きな変更はないようにも見えます。主な変更点は、先生からご指摘のあった調査不足内容の追加となっています。

次回は、両レポート内容をひとまとまりごとに比較して、少しコメントを入れてみたいと思います。