■レポート【政治学A】





日米の政治体制の異同に関する課題です。政治学は総合教育科目と専門科目の二つがありますが、こちらは総合教育科目となります。




どんな科目?




公的な組織のあり方や社会制度について、人々がより良い生活をするためにはどのような政治が行われるべきかを考える学問です。こちらは総合教育科目としての政治学です。本課題では、政治システムについて行政府と立法府の関係に着目しながら考察をすることが求められています。



課題情報

1

科目

政治学A

2

課題概略

日米の政治体制の異同に関するもの

3

課題タイプ

考察を加えよ

4

提出形式

手書き(ワープロ不可)

5

評価

6

レポート構成

課題定義

説明1(国家制度の異同)

説明2(政府組織の異同体制)

説明3(政府組織の異同政党)

説明4(政府組織の異同地方自治)

考察

まとめ

参考文献

7

文字数制限

4000

8

本文文字数

3887

9

備考

両国の異同についてはOKではあるものの、その他改善点についてご指摘いただいています。

・専門科目(政治学J)は国内に関するものでしたが、こちらでは国家という大きな枠組みが課題対象となっています。

 ・参考文献に赤字で記載したものは、履修要綱で参考文献として挙げられていたものです。



分析

1
課題定義
政治体制とは、ある社会集団の秩序を形成して維持していく為の仕組みであり、各国それぞれの事情により様々な違いがある。

 日本と米国の場合、民主主義に基づいて国民にルールの決定権があるという前提のもと体制が整えられていること、また三権分立という考え方から、行政、立法、司法の権限をそれぞれ基本的に独立させた政治体制をとっていることは共通している。

しかし、こうした大きな理念的な部分以外では政治を行なう体制には様々な違いが存在している。

2
説明1(国家制度の異同)

まず、民主主義国家はそのあり方で更に二つに分けられる。

一つ目は、君主は存在するものの権力を憲法や議会にある程度制限をされた政治形態である「立憲君主制」である。

日本の場合、君主が天皇か内閣総理大臣かについて明確な定めがないが、君主的立場の者が議会から制限を受けることから立憲君主制に近い。

二つめは君主制度自体を廃し、国民が選挙によって元首を選ぶ形態である「共和制」であり、米国はこの制度をとっている。

3
説明2(政府組織の異同1 体制)
次に、政府組織についての大きな違いは日本の政治体制は議院内閣制に基づいているが、米国は大統領制をとっていることである。

議院内閣制は、君主制のもとに発展してきた制度であり、立法部と行政部に互いに密接な関係を持たせながら、相互の権力行使に行き過ぎがないよう抑制均衡を図っていることに特徴がある。

日本では行政部である内閣は議会の多数派によって組織され、その最高責任者の内閣総理大臣は議会によって選ばれる。

内閣総理大臣の権限は大きいが、実際には内閣の同意のもとに権力行使を行なうため形式的な意味合いが強い。

内閣と立法部である国会は、内閣が国会の信任の上に存在し、連帯責任を負う一方で国会の解散権を持つ関係にあり密接である。

これに対して米国の大統領制では、憲法上、大統領は国家元首として存在し、国は議員とは別の選挙で国民から直接選ばれた大統領を中心に政治を行なう。

大統領は行政権を付与され、その最高責任者として各省庁官を決めて内閣を組織し、航空宇宙局などの独立諸機関を直に組織して率いることができるなど、強大な権限を与えられている。

大統領を中心とした大統領府などの組織を持つ行政部と連邦議会である立法部は完全に独立しており三権分立が徹底されているため、大統領は議会に議席を持たない。

それゆえ、大統領は議会に対して責任を負わず国民に対し直接に責任を負う。

日米ともに立法部である議会については、議会を二つの院で組織する二院制をとっていることは共通している。

二院制は様々な審議を行なう際に独断的決断を避け、より慎重な審議を促すためのものである。

日本では一方の議院に権限の優越を与えることで二院間の権力争いを防止している。

米国の場合は両院に権力差はなく、その役割に違いを持たせることにより両院の権力均衡を図っている。

また、議会に関しての日米の大きな違いは議員の選出方法である。

日本では候補者が各党の本部の者同士で選出されるのに対し、米国では各党の有権支持者による投票で候補者が決まる。

その後、選挙によって議員が決定するのは両国とも同じである。

候補者選びが党内部で行なわれる日本の場合、党自らある程度人選できるので、都合良く組織しやすい反面、国民からは候補者への親近感が持ちにくい。

米国の場合は候補者選びを国民に直接問うため、時間がかかるが、国民は自ら選んだ候補者であるという実感が持ちやすいといえる。

司法部は、最高裁判所が権限を持ち、日米ともに立法部との関係において司法部が優越の立場にある点では共通している。

最高裁判所では、行政部や立法部の判断を違憲であるとして無効にできる権力を持っているが、日本では裁判官に国民審査による罷免の可能性を持たせることで権力の抑制を図っている。

また、日米ともに、係争中の事件について合憲性の審査を行なうことができる法令審査権を持っている。

しかし、日本においては合憲か否かについての判断の際に基本的人権や公共の福祉への配慮といったバランスを求められるため、判断基準は明確とはいえない。

このため、実際には合憲か否かが問題となっても裁判所は判断を避けることが多いことから、かえって自衛隊の存在や海外支援について議論を生じ、憲法改正問題にまで発展している。

米国では、この判断基準が明確であり、連邦政府に憲法上認められている権限の範囲内かどうかを検討すればよく、これまでいくつもの合憲か否かの判断を下してきている。

また、米国では裁判の際に陪審員制度により国民が直接裁判参加し審議に加わる制度がある。

日本では現時点では裁判そのものに国民の参加する機会はないが、裁判員制度として今後国民参加の機会が設けられることが決まっており米国制度に近づくことになる。
4
説明3(政府組織の異同2 政党)
ところで、政治を行なう上では、政治的立場を同じくする者が作る結社ともいえる政党が作られることが多いが、党の政治の関わり方によりその種類が分けられる。

日本では、数を限らず議会内にいくつもの党の存在を認めている多党制をとっているため、複数の政党が連合して政権を担当せざるを得ない。

党ごとに複数の考え方が混在するので、審議が慎重になり独断的にはなりにくい反面まとまりにくく、審議が意見の不一致から結果が長期間出されないこともあるなど、政治が不安定になる可能性も高い。

米国では、革新的な民主党と保守的な共和党との二つの党が交代で政権を担う二党制をとっている。両党とも考え方にそれほど極端な偏りがなく、政権交代によって政治混乱を生じることはない。

政権をひとつの党が担当することから、問題に対する対処決定も早いが、その分議論が浅くなる危険性がある。



5
説明4(政府組織の異同2 地方自治)
また、国としての政治を行なういわゆる中央政府とは別に各国で地方自治が行なわれている。

地方自治とは、各地域の問題をそれぞれの地域に住んでいる住民自らによって処理することをいう。

地域ごとの自治権を大きく認め、中央政府の権力濫用を防ぐ意味からも干渉を最小限にする地方分権を徹底させた連邦制をとる国も多く、米国もこの制度をとる。

日本では、地方分権の基本的な考え方については同じであるが、地域における大きな対立や紛争もほとんどないことから連邦制ほど徹底した地方への権限委譲はされていない。

6
考察
これまで述べてきたように、日米の政治体制について様々な異同があるが、そこから生じる一番の違いは国の統率力ではないだろうか。

米国では、権限を持つものが政治体制の各分野においてはっきりしていることが特徴であるといえる。

このため、問題が起こったときの国としての決断が早く対処も全体的に迅速である。

例えば、世界各地で起きる天災や人災に対する支援を行なうといった決断は非常に早いといえる。

しかしながら、米国の大きな統率力は必ずしも良い面ばかりではない。

決断とそれに伴う行動が早い分、検討が浅いともいえるからである。

例えば、同時多発テロが発生時には報復行為を他国に行なうという大きな決断もほとんど日をおかずして行ない、報復を受けた国は甚大な被害を被った。

しかし、そもそも報復という行為をこのような手段で行なってよかったのかということについては後の議論となってしまった。

このような場合、のちに例え別の結論が出たとしても既に取り返しがつかない。

これに対し、日本の場合は国としての決断をする際に政治体制から生じる様々な抑制均衡力が働くため、決定に時間がかかる傾向があり、結果として決断の時期を逸することもある。

近年、海外への自衛隊派遣の早期決定など、迅速な決断を行なう努力もされつつあるが、決定に関し国内の議論も十分ではないため問題も多い。

また、各問題対処に対して決断内容等も海外から批判を受けることもあり、国際社会で日本が求められているレベルにはまだ距離があるよう思われる。

また、日本では特に選挙投票率低下をはじめとする政治への関心の低下が問題になることがあるが、これも政治体制が影響しているのではないだろうか。

日本では内閣など国の重要な政治ポストになる従い選出が次第にごく一部の者で行なわれていく。

この点、米国では国のトップである大統領の選出にも国民自らが参加する機会があることは大きな違いであり、国民の政治参加意識も違ってくると思われる。

日本において教育問題の対策などをはじめ、国民の同意を得にくい内容が施行されてしまうのも政治と国民が離れているからではないだろうか。

日本人の政治に対する意識を高めるには、米国のように国の重要なことを決める際に直接国民が参加できる場を設けるなど、もう少し国民の意思が反映されやすい仕組みを作ることが必要である。

既に日本でも裁判員制度の導入を決めたり、米国に倣った国民直接参加の機会を作る努力はされてはいるが、例えば内閣総理大臣の選出に国民直接の意見を聞く機会を設けたり、地方自治に連邦制を導入して地域ごとにもっと独立し住民の身近な政治参加を促すなど、更に国民が直接政治に参加できる場を増やしていくべきであると考える。

米国については、その統率力など日本には見習うべき点が多いが、他国を巻き込むような大きな政治決断の際にその影響力を考慮し、国民だけではなく他国の意見を聞く姿勢も必要であると考える。

7
まとめ
日米両国の政治体制はそれぞれ一長一短であるといえるが、急速にグローバル化が進む世界情勢の中、両国ともに国内の秩序維持を最重要としながらも、世界の中の立場という視点も常に持ち、求められる役割をも意識して時代の流れに対応した政治体制を作っていく必要があると考えている。

8
参考文献
<参考文献>
・中村勝範 著「主要国政治システム概論 改訂版」慶應義塾大学出版会2005
・安部齊 著「政治学入門」岩波書店1996
・R.A.ダール 著 高畠道敏 訳「現代政治分析」岩波書店1999
・堀江湛・岡沢憲芙容 編「現代政治学 第二版」法学書院2002
・草野厚 著「アメリカ議会と日米関係」中央公論社1991


文章のみ


政治体制とは、ある社会集団の秩序を形成して維持していく為の仕組みであり、各国それぞれの事情により様々な違いがある。
 
日本と米国の場合、民主主義に基づいて国民にルールの決定権があるという前提のもと体制が整えられていること、また三権分立という考え方から、行政、立法、司法の権限をそれぞれ基本的に独立させた政治体制をとっていることは共通している。しかし、こうした大きな理念的な部分以外では政治を行なう体制には様々な違いが存在している。
まず、民主主義国家はそのあり方で更に二つに分けられる。一つ目は、君主は存在するものの権力を憲法や議会にある程度制限をされた政治形態である「立憲君主制」である。日本の場合、君主が天皇か内閣総理大臣かについて明確な定めがないが、君主的立場の者が議会から制限を受けることから立憲君主制に近い。二つめは君主制度自体を廃し、国民が選挙によって元首を選ぶ形態である「共和制」であり、米国はこの制度をとっている。

次に、政府組織についての大きな違いは日本の政治体制は議院内閣制に基づいているが、米国は大統領制をとっていることである。議院内閣制は、君主制のもとに発展してきた制度であり、立法部と行政部に互いに密接な関係を持たせながら、相互の権力行使に行き過ぎがないよう抑制均衡を図っていることに特徴がある。日本では行政部である内閣は議会の多数派によって組織され、その最高責任者の内閣総理大臣は議会によって選ばれる。内閣総理大臣の権限は大きいが、実際には内閣の同意のもとに権力行使を行なうため形式的な意味合いが強い。内閣と立法部である国会は、内閣が国会の信任の上に存在し、連帯責任を負う一方で国会の解散権を持つ関係にあり密接である。これに対して米国の大統領制では、憲法上、大統領は国家元首として存在し、国は議員とは別の選挙で国民から直接選ばれた大統領を中心に政治を行なう。大統領は行政権を付与され、その最高責任者として各省庁官を決めて内閣を組織し、航空宇宙局などの独立諸機関を直に組織して率いることができるなど、強大な権限を与えられている。大統領を中心とした大統領府などの組織を持つ行政部と連邦議会である立法部は完全に独立しており三権分立が徹底されているため、大統領は議会に議席を持たない。それゆえ、大統領は議会に対して責任を負わず国民に対し直接に責任を負う。

日米ともに立法部である議会については、議会を二つの院で組織する二院制をとっていることは共通している。二院制は様々な審議を行なう際に独断的決断を避け、より慎重な審議を促すためのものである。日本では一方の議院に権限の優越を与えることで二院間の権力争いを防止している。米国の場合は両院に権力差はなく、その役割に違いを持たせることにより両院の権力均衡を図っている。
 
また、議会に関しての日米の大きな違いは議員の選出方法である。日本では候補者が各党の本部の者同士で選出されるのに対し、米国では各党の有権支持者による投票で候補者が決まる。その後、選挙によって議員が決定するのは両国とも同じである。候補者選びが党内部で行なわれる日本の場合、党自らある程度人選できるので、都合良く組織しやすい反面、国民からは候補者への親近感が持ちにくい。米国の場合は候補者選びを国民に直接問うため、時間がかかるが、国民は自ら選んだ候補者であるという実感が持ちやすいといえる。
 司法部は、最高裁判所が権限を持ち、日米ともに立法部との関係において司法部が優越の立場にある点では共通している。最高裁判所では、行政部や立法部の判断を違憲であるとして無効にできる権力を持っているが、日本では裁判官に国民審査による罷免の可能性を持たせることで権力の抑制を図っている。また、日米ともに、係争中の事件について合憲性の審査を行なうことができる法令審査権を持っている。しかし、日本においては合憲か否かについての判断の際に基本的人権や公共の福祉への配慮といったバランスを求められるため、判断基準は明確とはいえない。このため、実際には合憲か否かが問題となっても裁判所は判断を避けることが多いことから、かえって自衛隊の存在や海外支援について議論を生じ、憲法改正問題にまで発展している。
米国では、この判断基準が明確であり、連邦政府に憲法上認められている権限の範囲内かどうかを検討すればよく、これまでいくつもの合憲か否かの判断を下してきている。また、米国では裁判の際に陪審員制度により国民が直接裁判参加し審議に加わる制度がある。日本では現時点では裁判そのものに国民の参加する機会はないが、裁判員制度として今後国民参加の機会が設けられることが決まっており米国制度に近づくことになる。

 ところで、政治を行なう上では、政治的立場を同じくする者が作る結社ともいえる政党が作られることが多いが、党の政治の関わり方によりその種類が分けられる。日本では、数を限らず議会内にいくつもの党の存在を認めている多党制をとっているため、複数の政党が連合して政権を担当せざるを得ない。党ごとに複数の考え方が混在するので、審議が慎重になり独断的にはなりにくい反面まとまりにくく、審議が意見の不一致から結果が長期間出されないこともあるなど、政治が不安定になる可能性も高い。米国では、革新的な民主党と保守的な共和党との二つの党が交代で政権を担う二党制をとっている。両党とも考え方にそれほど極端な偏りがなく、政権交代によって政治混乱を生じることはない。政権をひとつの党が担当することから、問題に対する対処決定も早いが、その分議論が浅くなる危険性がある。

 また、国としての政治を行なういわゆる中央政府とは別に各国で地方自治が行なわれている。地方自治とは、各地域の問題をそれぞれの地域に住んでいる住民自らによって処理することをいう。地域ごとの自治権を大きく認め、中央政府の権力濫用を防ぐ意味からも干渉を最小限にする地方分権を徹底させた連邦制をとる国も多く、米国もこの制度をとる。日本では、地方分権の基本的な考え方については同じであるが、地域における大きな対立や紛争もほとんどないことから連邦制ほど徹底した地方への権限委譲はされていない。

 これまで述べてきたように、日米の政治体制について様々な異同があるが、そこから生じる一番の違いは国の統率力ではないだろうか。米国では、権限を持つものが政治体制の各分野においてはっきりしていることが特徴であるといえる。このため、問題が起こったときの国としての決断が早く対処も全体的に迅速である。例えば、世界各地で起きる天災や人災に対する支援を行なうといった決断は非常に早いといえる。しかしながら、米国の大きな統率力は必ずしも良い面ばかりではない。決断とそれに伴う行動が早い分、検討が浅いともいえるからである。例えば、同時多発テロが発生時には報復行為を他国に行なうという大きな決断もほとんど日をおかずして行ない、報復を受けた国は甚大な被害を被った。しかし、そもそも報復という行為をこのような手段で行なってよかったのかということについては後の議論となってしまった。このような場合、のちに例え別の結論が出たとしても既に取り返しがつかない。これに対し、日本の場合は国としての決断をする際に政治体制から生じる様々な抑制均衡力が働くため、決定に時間がかかる傾向があり、結果として決断の時期を逸することもある。近年、海外への自衛隊派遣の早期決定など、迅速な決断を行なう努力もされつつあるが、決定に関し国内の議論も十分ではないため問題も多い。また、各問題対処に対して決断内容等も海外から批判を受けることもあり、国際社会で日本が求められているレベルにはまだ距離があるよう思われる。

また、日本では特に選挙投票率低下をはじめとする政治への関心の低下が問題になることがあるが、これも政治体制が影響しているのではないだろうか。日本では内閣など国の重要な政治ポストになる従い選出が次第にごく一部の者で行なわれていく。この点、米国では国のトップである大統領の選出にも国民自らが参加する機会があることは大きな違いであり、国民の政治参加意識も違ってくると思われる。日本において教育問題の対策などをはじめ、国民の同意を得にくい内容が施行されてしまうのも政治と国民が離れているからではないだろうか。日本人の政治に対する意識を高めるには、米国のように国の重要なことを決める際に直接国民が参加できる場を設けるなど、もう少し国民の意思が反映されやすい仕組みを作ることが必要である。既に日本でも裁判員制度の導入を決めたり、米国に倣った国民直接参加の機会を作る努力はされてはいるが、例えば内閣総理大臣の選出に国民直接の意見を聞く機会を設けたり、地方自治に連邦制を導入して地域ごとにもっと独立し住民の身近な政治参加を促すなど、更に国民が直接政治に参加できる場を増やしていくべきであると考える。米国については、その統率力など日本には見習うべき点が多いが、他国を巻き込むような大きな政治決断の際にその影響力を考慮し、国民だけではなく他国の意見を聞く姿勢も必要であると考える。

日米両国の政治体制はそれぞれ一長一短であるといえるが、急速にグローバル化が進む世界情勢の中、両国ともに国内の秩序維持を最重要としながらも、世界の中の立場という視点も常に持ち、求められる役割をも意識して時代の流れに対応した政治体制を作っていく必要があると考えている。

<参考文献>
          中村勝範 著「主要国政治システム概論 改訂版」慶應義塾大学出版会2005
          安部齊 著「政治学入門」岩波書店1996
          R.A.ダール 著 高畠道敏 訳「現代政治分析」岩波書店1999
          堀江湛・岡沢憲芙容 編「現代政治学 第二版」法学書院2002
          草野厚 著「アメリカ議会と日米関係」中央公論社1991